スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by だてBLOG運営事務局 at

2016年03月11日

い雲ではなく薄

こんな兆候が出てくると、
『まさに、日本人になってしまった!』って思う。
一人のアメリカ人講師が夕暮れの空を見上げていることがある。

「空が、最近何だかおかしいんだ。あの飛行機雲。多すぎると思わないかい?
ジェット機が飛んでいる数よりも遥かに多い。
こんな飛行機雲は、日本に限らず、世界で起きているようなんだ。」

「夕暮れになると雲らしい cotton candy (わたがし) のような、
薄い雲が覆っているんだ。」

彼は、UFO の話もよくする方だが、雲の話は、ちょっと考え過ぎなんじゃないかと思うが、


映画『エクソシスト』の中で、母親役の、エレン・バーンスタインが警部補の質問に
『青カビに疑問を持ったから、ペニシリンが生まれた』
と返すシーンがある。
疑問を否定するのは簡単だが、
疑問を持つことは、素晴らしいものを作り出す第一歩かもしれないと彼の話に耳を傾ける。

大空が変化しているということは、
時代が大きく変わろうとする前兆なのかもしれない。

夕方、大空には、絹雲らしいものが燃え上がる炎のような形を作っていた。
夕日に映えて、不動明王の光背のようにも見えた。
不動明王と言えば、
密教の仏像を彫ったり描いたりする場合、形式などに細かい儀軌というものがあり、
それに則った形でないと、密教の仏像として認められないそうだ。

たとえば、不動明王が背負う炎は、
迦桜羅という名の霊鳥が、吐くという炎の形を描かなければならない。
アレンジすることが許されない。  


Posted by 窓から覗いてみ at 03:08Comments(0)

2016年03月09日

その物を費や




「その物につきて、しそこなふ物、数を知らずあり。
身に虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、
小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。」

いかにも科学的だと思わせる疑似科学が時々話題になる。
いわゆる「えせ科学」と呼ばれるもの。
出て来た時には科学的な香りがして、つい信じてしまうものが多い。

たとえば、今まで、それらしいもので話題になったものを幾つか挙げてみると、
「マイナスイオンは、癒しの効果がある」
「血液はサラサラが健康」
「オゾンは、身体にいい」
「水に感謝の気持ちを言うと、きれいな結晶になる」
これらの話題はテレビなどで眼に見える形で紹介されたものが多い。

例を挙げると、
流れる滝の前でカウンターのようなものを置き、
「この数字、マイナスイオンがいっぱい!」とその数値を見せる。
マイナスイオンって何?を考えさせない。
また、ドロドロの血液が詰まって流れないような映像を見せつけて
「この人の血液は、ドロドロ」と言ったりする。
眼で見せられると、
論理的な思考などどこかに飛んでいってしまう。

アメリカの数学者であり、ちょっとした手品師であったマーチン・ガードナー氏は、
1950年ころの著書『奇妙な論理』で、
「科学と疑似科学の区別が、むずかしいボーダーラインのケースは常にある」と述べている。

そう言えば、今日のCNN News に『肥満でも5人に1人は健康?』
というタイトルの記事を見た。
それによると、
「肥満=不健康」という論理は、必ずしも成り立たない
という研究発表が成されたと出ていた。
ニュースソースは、カナダの医学誌「カナダ・メディカル・アソシエーション・ジャーナル」。
デター分析したところ、重度の肥満とされていても、
その健康との決定的な相関関係はないというものだった。
すなわち、近しいからと言って良き取り合わせになるとは限らない。
  


Posted by 窓から覗いてみ at 19:04Comments(0)

2016年03月09日

ホントのところは



そう言えば、こちらは、18カ国語の外国語スクール。
そんなにたくさん言語があるならば、「さぞや大きいのでは?」
と訝りながら訊ねる人がいるが、小さいにもほどがある、というスクール。

だけども、おかげで、数多くの外国人から直接、
「良きにつけ、悪しきにつけ」生の声を聞くことができる立場にある。
実際のところ、評判は良さそう。

政治や経済については、知る立場にはないが、
日本製品や文化に対しての否定的な反応は、まず、ない。
日本での生活を受け入れているせいか、
こちらで教えている外国人講師も、どこか日本人化しているところがある。

とあるサイトで、特集されていたのは、
『外国人が日本に長くいすぎた…と実感するとき』
というタイトルで、本音を語っている項目に出会った。

70項目近くあったが、うちの外国人講師を思い浮かべて
『あるある』と思えるものが数多くあった。
例を挙げると、以下。

* 握手とお辞儀を同時にする芸術をマスターしたとき。
* 電話中にお辞儀している自分に気付くとき。
*どんな小さな行為でも「がんばる」とか言い出すとき。
*外人の知り合いにまで血液型を聞き出すとき。
*混雑を通り抜ける手段として拝むように手を出したり、
  頭をペコペコ下げたりし始めるとき。
というものが挙げられていた。
私見で、これに加えるとすれば、

*会ったときの挨拶が、頭をちょこっと下げる会釈(えしゃく)っぽくなってくること。
*話の切り出しを、天気の話題から話し始める。
*電話をかけると「モシモシ」、そして、最後に「失礼します」と言った時。  


Posted by 窓から覗いてみ at 19:02Comments(0)